不死身のビーナス / スピッツ

最低の君を忘れない


何を考えているかよりもどう感じたかについてあきらかにする場に、触れていないなと思います。日々瞬間の気持ちや出来事はツイッターで書き留めていて(というよりも、吐いていて、のほうが正しいのかもしれないけれど)、その無数ともいえる点をつなげて日々の気持ちの変化にしようと思ってこのブログと同期しているのですが(なのでtweetsというカテゴリは相当投げやりです)、腰を据えてどういう風に感じて何を考えてるってことを書いておきたいなあと思ったので、まあ性格上毎日とはいかないけれど、余裕をつくって書いていきたいと思うのです。
このブログを見るひとは誰なんだろう。通りすがりのひとなんだろうなあ。顔と名前が一致するようなひとで、わたしが教えたいと思って、教えて障害のないひとなんて存在し得るのかしら。知らんわっつう話ですけど。

本名もあだ名も全く関係ないHNを使うのは、わたしが名前や学歴や所属しているコミュニティから離脱した時に、空っぽな人間でいたくないと思ったからです。枕詞のつくひとは恰好いいというか、見合った努力をしているのだろうけれど、矢張りわたしはそれで判断されるのは御免。…なんだろう、わたしを見てほしいとでも思っているのかな。
ただ、今頑張っていることはたしかにわたしの糧になるものだしするつもりでやっているので、それを忌み嫌っているとかそういうわけではありませんあしからず。

前置き長くなっちゃったなあ。冗長な文章なら幾らでも書ける気がする。

今日は半年ぶりに夢の海に行ってきました。某夢の国マスターの高校の友達と5年ぶりに行ったのですが、相変わらず我儘放題させていただきました。もうほかの人と行っても満足できない気がする。
で、前回行ったときは夢の海が5周年で、今回10周年だったのですが、5年前の当時15歳ですよわたしたち!10代!
「10代と20代じゃ遊び方が違うんだぜ」とか言いながら、一通りお目当てのアトラクションをまわって、買い食いしつつ、2つパレードを見て、10周年記念のグッズを買って帰ってきました。オトナの余裕ですね。まあ9月の平日ですいてたのもあるんですが。首都圏パスポート万歳。
10周年も来られたから15周年も来ようね、なんて随分と先の話だけれど、まるで約束みたいに話せるくらいには付き合いが深いことを思い知りました。やっぱり伊達に長く付き合ってるわけじゃないので、タイミングとか似てるんですよね。そして、沈黙を共有できるのはほんとうに素敵なことだと思います。わたしの取扱説明書を書かせたらわたしより信憑性のあるものを作ってくれるんじゃないだろか。

最近専ら大学のコミュニティで活動していて、交友範囲もやはり限定されてくるので閉鎖的なものの考え方をしていたんじゃないかなあと思いました。早く知り合ったほうがどうというわけではないけれど、わたしは大学のコミュニティだけで完結されるような生き方はしたくないし、きちんと過去も振り返っていたいなあと。まあ、大学の知人が過去になる日だってくるんでしょうけれど。

そう考えると本当に「絶対」なんて無くて、生きていることの途方もなさに時々打ちのめされるのです。
絶対的な関係も価値観も時間も経験も、まやかしに過ぎない。その場しのぎというかな。
明日の朝目覚めたら、真逆のことを考えている自分がいる可能性だってあるわけでしょう?

まとまらなくなったところで、途切れさせてみます。
舞浜駅から自宅まできっかり30分でした。アクセスの良さに絶句。